司馬遼太郎(著)  「街道をゆく (40) 台湾紀行」

鷹揚の会: 平成22年05月例会
開催日: 2010年5月21日
レポーター: 小川眞一

著者略歴:1923年大阪生まれ、大阪外国語大学蒙古語部卒、作家、「梟の城」直木賞受賞以降多数の歴史小説、「街道をゆく」シリーズなど

●旅の記録:1993年1月と4月
ルート:(1)台北(李登輝と面会)-新竹(シリコンバレー)-日月潭―嘉南・烏山頭水庫―高雄―台南(ゼーランジャ城)
ルート:(2)高雄―新営―嘉義(2.28記念碑)-台東―花蓮
●「流民と栄光」の章
  • “本来流浪の民であったものが国家を作った”
  • 国家とはなにか。起源論を頭におきつつ台湾のことを考えてみたい。p9
  • 「国家というのはすでにそこにいる住民のところへしのび足で寄ってきて投網にかける」説p14
  • “江戸時代には日本ではこの地のことを高砂族とよんでいた。無主の地だったという。”
    (オランダの占領―海獠鄭家―清朝の支配―日本の統治―国民党の支配)
  • 1866年アジアに異変が起こった。日本が明治維新をおこし近代国家に変容した。
    周辺の中国・朝鮮は、儒教という超古代の体制のままだったから、この衝撃波を受けた。P15
  • 余分な富力を持たない当時の日本が――植民地を是認するわけではないにせよ――地からのかぎりのことをやったのは認めていい。
    国内と同様、帝国大学を設け、教育機関を設け、水利工事をおこし、鉄道と郵便の制度を設けた。P17
  • 戦後、大陸で敗れた”中華民国”が1949年国家そのものを台湾に持ち込んできた。
    しかも、台湾島はいまだなお”台湾省”のままになっている。
  • もしハリスの意見が採用されていればハワイ諸島のポリネシア人のように知らぬ間にアメリカ合衆国市民にされていただろう。
    ・・・・本来”流浪の国”だったものがここまでの社会をつくったのは、アメリカ合衆国以外世界史にないのではないか。p17

●李登輝のこと:
1923年生まれ、旧制台北高校、京都帝大に進み戦後台湾大を卒業。米国留学経験あり。
84年に副総統、88年蒋経国の死去により総統に就任、敬虔なクリスチャンでもある。

  • 「台湾は車優先です」・・・漢民族は機敏である。・・・裏返せば法や国家に頼るよりも自分の能力に頼るしかない。
    戦後、本島人の多くの人は政治に背を向け、台北の夜の車のように生きてきた。p69
  • 中国の王権が公であったことは一度もなく、毛沢東、蒋介石でもかれらにとって権力は私物であった。74
  • 公とは、私の上にあるもの、私のむれのとりきめ、私がこぞって奉仕すべきもの、ときに万人の幸福のために私を殺すべきもの。
    もっとも公への傾斜が深すぎると、ファシズムや共産主義になる。
    儒教の根幹は、「孝」である。孝はもっとも輝かしい私だが、公ではない。
    孝という観念もふくめ伝統的漢民族は、皇帝も私、官僚も私、これらと”潜在的敵対関係”にある人民も私であった。・・・資本主義の力は巨大でしかも利潤追求という戦いを目的としている。
    そのためにゲームと同様、ルールができ、あわせて公の思想が成立した。西洋の場合、プロテスタンティズムの勃興と不離なようである。p80
  • 李登輝さんは・・・「誠、公、廉、能」(「誇らない、高ぶらない」「自分の利益を求めない」「無作法をしない」「常に寛容であり、絶えることがない」)を自分自身の基本態度としたい旨、記者団に述べた。p84
  • 「夜、安心して眠れる国にしたい」というのが願いであり、願いは今も続いている。p376
  • 「今までの台湾の権力を握ってきたのは、全部外来政権。・・国民党も外来政権・・・台湾人を治めに来ただけの党だった。
    これを台湾人の国民党にしなければならない。
    かつてわれわれ七十代の人間は夜にろくに寝たことがなかった。
    指針をそういう目には合わせたくない。」p386
  • 「植民地時代に日本が残したもの大きい。批判する一方で、もっと科学的な観点から評価しなければ、歴史を理解することはできない。・・」p390
  • 「私はいま率先して台湾語(閩南語)で話す。・・・台湾語は台湾の大和ことばですから、人の心に訴えるようですね。」p385
●山地人のこと
  • 黒潮の気質:この国の主はこの島を生死の地としてきた無数の百姓たちなのである。
  • 山地人は、若い人はともかく、諸族間では言語が通じない。
    だから諸族間の交渉は、今なお日本語が用いられるという。
    この地球上で、日本語が”国際公用語?である唯一の例は台湾山地人の間でしかない。
    ・・山地人間の言語はオーストロネシア語族(マレー・ポリネシア語族)に属している。・・雄大な分布・・縄文時代の日本語も近い。・・p275
  • 日本語は構造としては韓国語やモンゴル語という北方語に近いのだが、しかし発音上の舌や口唇の運動はそれらとはずいぶん違う。
    日本語は発音上ではむしろ母音がたっぷりとあって子音が険しくない南太平洋語にちかいのではないかと思うことがある。
    ・・・発音運動の痕跡として私どもの口唇や舌に残っていそうに思う。p276(山地人のこと章)
  • 高砂族と呼ばれた台湾山地人の美質は薩摩藩や土佐藩の美質と似ている。
    この黒潮の気質は、男は男らしく、戦いに臨んでは剽悍で生死に淡白である。
    ・・特に薩摩隼人(はやびと)が文化としても他と異にしていたらしい。・・とくに集団行動における果敢さが、彼らを明治維新の主勢力にしたといえる。・・台湾山地人の方もどこかで自分たちは日本人と同祖だと感じていたらしい。・・この”元日本人”は若い日本人に「日本人の魂を忘れるな」といった。・・男子のふんどしの着用という習俗や若衆宿の古制などが日本と共通していたり、容貌体格が似ていたりするところから、日本や日本人への親しみが濃かったのかもしれない。p276(”山中の老人”の章)
  • 日本人と似た気質、・・「しごと」という日本語は、いまは多様に使われるが、もとは職仕事、”体を動かして働くこと”という場合に限られて使われていた。
    ・・日本人の半分ほどは胡必重さんのようである。身動きや思考法、気質を総括すると商売よりも物をつくるほうに向いている。p302
    (cf香港や東南アジアの華僑は工業を好まず、手っとり早く早く金もうけができる金融業や不動産業、相場を好むのである。台湾人が、武骨にも製造業を好むというのは―邱永漢氏は日本人の影響というが―きわだった特徴といえる。p106)
  • 首狩りは、台湾山地人の古習だがこれを奇習と片づけるのは”文明人”たちの優越感情にすぎない。
    ・・・国家間や他民族の間で、戦争やテロリズムとやっている。首こそ刈らないが、人を殺すことで、自分の勇気を証し、集団への忠誠心の証にしている点、古俗とかわらない。・・・高砂族は「出草」とよぶ首狩りの習慣があった。首狩りはよいおこないであり、最良の死者は生前幾つの首を狩ったかをあらわす入墨を入れている。p321(”山人の怒り”の章)(出入り?―――日本・戦国武将も首狩りをした。)
  • 日本統治時代、日本人たちは、高砂族の名誉を重んずる気質を武士道として理解した人たちが多かった。
    武士道が命のやり取りを中心にして、日常の自尊心を磨いてゆくものとすれば山地人の過去の文化も極めてそれに近かった。p322(李登輝「武士道解題」
  • 日本統治時代、山地人による大小の反乱がいくつもあった。
    ・・・人間は自尊心で生きている。他の郷国を植民地にするということは、その地で生きているひとびとの―――かれら個々のそして子孫に至るまでの――存在としての誇りの背骨を石で砕くようなものである。・・霧社事件は1930年10月27日に起こった。・・・霧社の人たちは日本領の時代が始まると、いちはやく協力した。一面日本化を頑固に拒むところがあり、日本の官憲に、目のかたきにされた。・・・日本の警官が行政の末端にあって権限も大きく、大変威張っていた。・・・霧社事件は、もし山地人の警官たちに対する反発や憎悪がなかったら―――明治以来の警官たちが住民の自尊心を傷つけ続けなかったら―――おこらなかったはずである。p323
    (かれら山地人の決起は、明治初年の士族の反乱・・・文明開化の明治政権に反対して起こった熊本の神風連の乱に似ている。・・・誇りを奪われた者の反乱というところにおいてである。p327)

    • cf(p192李登輝「植民地というのは、トクな面がある。その本国のいちばんいい所が植民地で展開されるからだ」)
    • cf(p253明治20年代の日本は、国内の近代化を欧米の見様見真似ながら整備するのが精一杯で、”帝国主義”などという酔狂な余裕はなかった。
      帝国主義が、英国近代史で見られるように、強大な生産力によって生み出された商品を、商品生産の弱い地域に振り向けるための機構とすれば、当時の日本の能力は、経済といい、技術といい、貧寒極まりなかった。
      「台湾などもらってどうするんだ」という冷静な意見が議会にもあった。海軍が欲しがったといわれている。
      ・・・帝国のコストは高くつく。単に高雄に貯炭所が欲しかったのが、台湾領有という大きな話になってしまった。・・・・領有によって大きな経費がかかるばかりか、領民の恨みという非経済面のマイナスは、はかり知れない。帝国主義というのは永い目で計算すると損になる。・・・・)
  • 嘉義農林「日本はなぜ台湾をお捨てになったのですか」(千金の小姐シャオチエ)p349
●児玉・後藤・新渡戸のこと
  • 乃木希典:「乞食ガ馬ヲモラヒタル如く飼ウコトモ出来ズ乗ルコトモデキズ。」p117
  • 実際の台湾統治は乃木の後にきた第4代総督の児玉源太郎からはじまるのである。
    児玉が就任とともにやったのは、千八十人という官吏の大量馘首だったことを見ても、前任の乃木を苦しめた因がどこにあったかがわかる。
    児玉は台湾総督であること八年(1898-1906)におよんだ。この間日露戦争がおこり、児玉は、「満州軍総参謀長」として出征した。
    かれが砲煙の中で全野戦軍の作戦を総覧しつつ、文官である台湾総督の印授を外さなかったとい一事を見ても当時の台湾統治がいかに困難なものであったか想像できる。
    児玉は、後藤新平という医者上がりの逸材を見出し、後藤に総督の印をあずけて出征したのである。
    「うかつな者が総督になれば、台湾は元の台湾になる」といっていたらしい。(馬のたとえの章)p122
    児玉源太郎と後藤新平が、日本領時代50年間の台湾の行政の基礎をつくったといっていい。p123
  • 児玉源太郎のこと: 児玉家、長州藩の支藩の徳山藩四万石の藩士、家録百石。
    ペリー来航の前年(1852)に生まれた。格別に小柄。精神快活。外国語を学んだことなかった。
    悟性がひどく発達していてメッケルのつかうドイツ語の急所が理解できたらしい。「児玉の頭と後藤の頭」p124
  • 新渡戸稲造のこと:南部藩出身、札幌農学校に学ぶ、熱心なクリスチャン、アメリカとドイツで農業経済と統計学を学ぶ。
    後藤に誘われて台湾に行く。殖産局製糖局長として、製糖による統治の経済的基礎を確立。
    夫人はアメリカ人。(メアリー/万里子)
  • 後藤新平のこと:奥州水沢藩(仙台藩の支藩)に生まれる。
    須賀川医学校(福島県)に入学、医師、数学と測量学が大好き。
    アイデアマン、愛知病院(名古屋)病院長、内務省衛生局長、陸軍検疫部事務官長、児玉に台湾民政局長に選ばれる。p129
    “新総督の統治の方針は無方針でゆく。(法律万能でやらず慣習を重んずる。――科学的(生物学的)にやる)”
    阿片対策・・・漸近政策をとる。明治政府は衛生行政が大好きであった。(日本人は神代から清潔好きであった。かつての漢民族の文化は、半乾燥地帯が中心で概して清潔には無頓着だった。)台湾は高温多湿の”瘴”の地、マラリア、ペストが蔓延。全島に防疫運動を展開。高木友枝、浜野弥太郎ら”都市の医師”たちを呼んでペスト防疫や上下水道の整備を行う。(日本内地より早い)p142
    後藤新平「金を残す人生は下、事業を残す人生は中、人を残す人生こそが上なり」(蔡p64)(のちに南満州鉄道総裁、東京市長、外務大臣)
●八田與一のこと
  • 明治19年(1888)加賀・金沢の生まれ、四高、東京帝大工科大学土木科卒業、台湾総督府土木局勤務、嘉南・烏山頭に巨大ダムと灌漑施設を設計・工事完成させた。
    昭和17年(1942)フィリピンへの乗船中、米潜水艦の攻撃により撃沈され56歳にて死亡、p227
  • 八田與一は、この烏山嶺をくりぬいて水をダムに導く設計をし、施工した。
    くりぬかれる隋道は、3078mにおよび、多くの死者が出た。
    八田與一は、それらを湖畔の「殉工碑」にまつった。ダムの規模は東洋一になる。
    一億5千万トンもの水を堰きとめるのである。
    その堰堤は、多少コンクリートを使うものの、大部分は土で構築することにした。
    粘土、砂、栗石、玉石を組み合わせることによってコンクリート以上の強度を出す方法である。p236
  • 広井勇東大教授「なんのために工学はあるか」
    “もし工学が唯に人生を煩雑にするのみならば何の意味もない。これによって数日を要するところを数時間の距離に短縮し、一日の労役を一時間に止め、それによって得られた時間で静かに人生を思惟し、反省し、神に帰るの余裕をあたえることにならなければ、我らの工学には、全く意味を見出すことはできない。「現代日本土木史」”
    “工学は、受益者である世の人たちに高度な余裕を生み出させるためにある。”p233
  • 三四郎のひげの男「滅びるね」:漱石も、明治が好きだった。
    しかし戦勝が国民を浮薄にし、世俗がなにやら夜郎自大になっていることに、不吉を感じていたかのようである。
    ・・・男の予言どおり・・・大日本帝国は敗亡した。p235
  • “「文明」とは司馬によれば、法・制度・教育・政治・経済・技術などによってもたらされる「ささいな便利さの総和」である。・・・台湾に「文明」をもちこんだのは、児玉源太郎、後藤新平、新渡戸稲造、八田與一らの近代的植民地経営者・技術の系譜である。たとえば、八田與一は清朝が”化外の地”として放っていた台湾にダムをつくり良し嘉南平野を美田に変えた。・・・しかしこの「文明」としての台湾発見は、極めて政治性の高い目セージを、現在の中国政府および戦後の日本人に対して発することとなった。”(松本健一評)
●対談 李登輝/司馬遼太郎 「場所の悲哀」
  • 無主の国に生まれた文明国
  • 国家のサイズと「公」
  • 台湾語とシェークスピアと
  • 蒋経国の後継者になるまで
  • 出エジプトと台湾人の運命

(感想)
台湾の山地人をみると黒潮の気質を持つ日本人との共通点が多い。
台湾人が華僑と違って商売よりも物を作るほうに向いている。
日清戦争後「台湾などもらってどうするのか」との意見の中、空想では動かない海軍が欲しがりもらった。
現実思考の海軍主体による統治は、黒潮の気質に共通する部分が多かったのではないか。
日本統治時代上下水道の整備、ダムや灌漑工事など極めて具体的なインフラ開発を行ったが、商売よりもモノづくりが好きな台湾人の気質に会っていたのではないかと思う。
台湾少年工たちが海軍での航空機生産勤務を夏がしがる高座会など今も続いて残る親日感情は搾取された支配されたという感覚よりも共に開拓に苦労した仲間であり指導した文明の先輩としての日本人に対する好感が強いのではないかと思う。*****

台湾と韓国の比較

台湾

韓国

位置

島国文化

回廊文化

民族

海の民、黒潮の気質、マレー・ポリネシア系

北方騎馬遊牧民

内陸部:山地人

農民

南国的明るさ

北国の暗さ

経済

工業好き(中小企業)、委託生産下請け、実利

大企業主義、克日企業

主義

個人主義的、家族主義

一国一城主が望み、家族主義

会社外の人的ネットワーク,同郷会

学歴閥、閨閥、郷土閥

道教・仏教

儒教

馬祖信仰

華夷秩序を重んじる、孝

中国との歴史

化外の地

中国王朝に献ずる歴史

文字

文字のない台湾語、繁字体漢字

ハングル文字

民族意識

アイデンティティ(認同)問題

朝鮮民族

戦後体制

中華民国・国民党の支配

同胞北朝鮮との対立

2.28事件、白色テロ、中国人同士の抗争、権力闘争

朝鮮戦争・南北冷戦の代理戦争

対日感情

親日

反日

政治主導者

植民地経験の本省人ではなく外来の国民党が主導

韓国人による政治。但し日本統治時代の協力者が中枢に残った。

日本統治時代

海軍主導

陸軍主導

支配方法

イギリス的支配、現地主義

ドイツ的支配、富国強兵

万葉集

演歌

感情

歌 ノスタルジー、哀感

若衆宿?薩摩・土佐の文化に近い?

両班、詩文を重視

自分の身体を同化して変化、女性的

独立心強い、男性的