浜田政彦(著) 「神々の軍隊vs国際金融資本の超暗闘」
-「ニイニイロクジケン」というジグソーパズル:歴史的抽象概念の形成と意味の発展

鷹揚の会: 平成22年2月例会
開催日: 2010年2月26日
レポーター: 得丸公明

「昔のことを覚えていると片目を失う。忘れる者は両目とも」ロシアの諺(「収容所群島」より)
近現代史はまるでピース数不明のジグソーパズルのよう。
遠目には完成した一枚の絵のように見えて疑問を持たないが、少し近づいてみると謎だらけ。
謎を解明して、筋の通った絵として完成するために、いろいろなところからピースを集めてきて、試行錯誤で合わせ、埋め込んでみる。嘘のピースは捨てる。
嘘と誠が混在していたら誤魔化しを見極めて、使える事実だけ抽出する。
対象を知れば知るほどピースは細かくなり数が増えてくる。
誰も気づかなかったピースにめぐり合い、それまで信じられなかったことを現実だと感じはじめ、予想だにしなかった歴史の真実に迫るのが歴史研究の醍醐味である。

1 コトバの意味とは何か?具体概念から抽象概念へと長く複雑で数学的な道
意味とは、記憶である。
記憶には、本能と知能がある。
(DNAの細胞内記憶と五官がもたらす知覚記憶。ともにRNAであるらしい)
思考とは、記憶の演算である。(すでに知っていること以上のことを考えられない)
考えるのではなく新たな記憶を作り出せ。自分の知識をIs this all?と疑え。
抽象概念の意味は、コトバの記憶(=知識)による思考・意味の関数方程式である。
方程式に代入する知識が正しいかどうかが重要。
虚心に世界と向き合って、正しい知識を吟味して獲得することが大切。

  1. 「コトバの意味とは何か」は言語学も解明していない。
    「概念とは何か」は認知科学も明らかにしていない。この1年、言語のデジタル性を手がかりに。

    • ソ連の心理学者ヴィゴツキーが解明した「概念の意味は発達する」や「内言」、
    • パブロフが犬の脳生理現象として解明した「符号」と「意味」が「条件反射」として「形成」、「抑制」、「分化」、「拡散」される高次の脳神経作用であり、それが概念である、
    • スイスの教育心理学者ピアジェが若い頃に考察した脳内の概念体系の構築と論理処理、概念同士の演算、

    などについて読んできて、私はコトバの意味を以下のように考える。
    コトバとは、いくつかの音節を組合わせて構築された符号語(シニフィアン)である。
    コトバの意味(シニフィエ)とは、各人の五官の知覚の記憶であり、両者が大脳皮質上の条件反射的な神経結合によって結びつくと、コトバと記憶の統一体である「概念」が生まれる。

    • コトバの意味は、一人一人の知覚や記憶として個人の中で発展する。
      また、抑制(コトバが当てはまらない場合)や分化(より精緻な定義)、拡散(多器官による感覚刺激)によって細かく切り分けられる。
      概念とは、コトバの意味が「一人一人の記憶として形成され、発展し、精緻化し、体系化されるもの」である。
    • コトバが各人の固有の記憶を伴わないときは、「意味するもの」(シニフィアン)のみが存在しており、「意味されるもの」をまだ伴っていない状況である。(例:食べたことのない料理、読んだことのない作家、聞いたことのない音楽、年表上の歴史的事件、受験知識)
      →自分と無縁な歴史的事件が概念化するためには、体験的な手がかりが必要?
    • 概念がいったん形成されると、それが寄り代となって新たな経験と記憶が意味をどんどん広げ、深め、より精緻になる。
      また、コトバ同士が相互にネットワークして結び付く。
  2. コトバは一人の意識(=記憶)の上で、均衡した概念体系(価値体系)として構築される。
    我々は個人の内部で均衡した概念体系とともに生きている。

    • 生存を希求する動物的判断力によって、我々はコトバの意味を総合的に判断しながら、コトバを群(集合)としてまとめるほか、ひとつの意味の体系(=概念体系)として構築する。
    • この体系は、我々が社会的に生きるために必要であるが、同時に社会が我々を社会化(家畜化)するためでもある。
      歴史学ほど政治的な学問はほかにない。
      刷り込み押し付けられた歴史観や世界観という思考枠組みを自覚することすら大変。
      それから逃れて、自由で正しい発想をすることは極めてむずかしい。
    • 新しいコトバや記憶は、既存の概念体系の中に位置づけられる。
      概念体系が思考基準となるので、「似てる」「違う」という判断はできるが、「似てもおらず違ってもいない」まったくなじみのない新しい概念は、見えない、認識されえない。
      それを知ると、社会との折り合いに苦労することになる。
    • 概念体系は世界観、世界の姿(縮図, 仮想現実世界)を意識の上に内化したものである。
      均衡した概念体系がいったん構築されると、ちょっとやそっとでは揺るがない。
      歴史の真実が提示されても、それを取り込んで概念体系が自己修正し、すぐに再均衡するというわけではない。
      むしろ、放置されたままの状態におかれることが多い。
  3. この概念体系をつかって大人になるとコトバの論理演算が行なえるようになる。
    • 体系化にあたって、あるいは体系の中で、コトバ同士の比較や演算を行なえる。
      (例:パリとフランスの関係は、ロンドンとイギリスの関係に等しい。 A/B = C/D)
    • 記号論理学の法則が成り立つ:
      (i)交換の法則 A+B=B+A,A・B=B・A
      (ii)結合の法則 A+(B+C)=(A+B)+C,A・(B・C)=(A・B)・C
      (iii)恒等の法則 A+1=1,A・1=A
      (iv)同一の法則 A+A=A,A・A=A,(v)補元の法則 A+A-=1(Aと非Aを合わせると全体になる),A・A-=0(Aであって同時に非Aであるものは存在しない)
      (vi)分配の法則 A・(B+C)=A・B+A・C
      これらの式にあてはめて、自己の概念のできるだけ客観的に正しいものに保つことが重要である。
    • コトバは嘘である可能性がある。本当と嘘の違いを見破ることが大切。
      嘘に騙されなくなり、期待ハズレに驚かなくなる。
      文献の校訂、著者の業績・人格評定は重要。

    このように概念体系が構築され、コトバを比較や論理式にあてはめて考えることができるようになったときにはじめて、ヒトは歴史的・科学的な抽象概念を使えるようになる。
    抽象概念とは、五官で感じる記憶のない概念。意味は、別のコトバによる方程式である。
    客観性をもつ歴史概念を獲得するためには、論理的思考が必要。努力が必要である。

2 歴史的抽象概念の難しさ:もの心ついて以来社会化課程で刷り込まれた概念体系が邪魔する
世界認識の道具である歴史的抽象概念は、我々の意識の社会化と一体化である。
刷り込みから自由になるのは、自らの概念体系をつくりかえる大変な作業。

  1. 科学的概念は、実験や観察技術の発展によって、見えなかったものが発見されたり可視化されることもある。
    だが、歴史的概念は、過去の再現不能な事象であり、人文的・社会的現象であるために客観的な姿を見ることがきわめて難しい。
    さらに、我々の意識が真理を見えにくく方向づけられており、もっとも大切な事実が関係者・歴史家によって隠されているか、嘘で塗り固められている。
  2. 受験知識や意味を問わない軽薄な消費社会の風潮によって、我々は意味から疎外されていることが多い。
    つまり、最低限の意味なしでコトバを使うことに慣れてしまった。
    「2・26事件」は、昭和史上消しがたい重みをもつ事件であるので、「ニイニイロクジケン」というコトバ(シニフィアン)は誰しも意識に留めているものの、ではそれは何ですかと聞かれて答えられる人はほとんどいない。
    せいぜい「昭和史最大の謎」であるという程度であろう。
    そのレベルでは、抽象概念として誕生していない。
  3. しかしその謎と正面きって取り組むことがないのは、歴史的概念は過去の事象であるため、それをどうしても知る必要性がない。
    謎が自分の問題にならない。入門書や現代史の本を読んでも、誤った解釈を植えつけられるか、謎は深まるばかり。真摯な歴史家、真実を求める歴史の求道者になって、過去の真実に接近する技を磨く必要があるのだが、それはけっこう大変。
    また、仮に真実らしきものに肉薄しても、正しいかどうか検証が困難。
    私の場合は、大学4年のときに文学座アトリエでみた、映画「戒厳令」のシナリオを担当した別役実の作「太郎の屋根に雪降りつむ」が2・26事件を身近に感じるきっかけとなった。
    とくに最後に舞台が暗転した後、磯部浅一獄中日記の激しく天皇を叱責する純粋な叫び声とそれに続く銃声、そして北一輝が息子に書いた遺書に法華経を詠めと書いてあったことが記憶に鮮明に残っている。
    それがきっかけで、関連文献を数冊購入していたが、読んでみてもわかった気分になれず、かといって史実解明を目ざして概念化したことはなかった。
    『英霊の声』を読んでも、まさか天皇がここまで戦争キチガイだとは思わなかった。
  4. できるだけ青年将校の心に近づくために、一次資料やそれをもとにした研究書をよく読み込むこと、また同時代の歴史的事件との相対的関係の中で読み解く必要がある。
    現代史家たちの文章に接するとかえって混乱することもある。
    これまで読んできたのは:
    -2・26関連:バーガミニ「天皇の陰謀」、塚本誠「ある情報将校の記録」、山崎国紀「磯部浅一と2・26事件」、三島「英霊の声」、「北一輝の人間像」中の嶋野三郎談と渡辺京二「北一輝」を2年前にを読んだことが今回の肥し。「嶋野三郎 満鉄ソ連情報活動家の生涯」 -昭和史・天皇関連:鬼塚英昭「日本のいちばん醜い日」、「原爆の秘密」、保田與重郎、ダワー「敗北を抱きしめて」、ビックス「昭和天皇」、小熊英二「<民主>と<愛国>」、桶谷秀昭「昭和精神史」、「昭和精神史 戦後篇」鷹揚の会の夏合宿本。
  5. 鬼塚さんは2・26も8・15も、天皇側が仕組んだ偽クーデターと考える。
    壬申の乱だと。(西園寺八郎1881、東久邇宮稔彦1887、貞明皇后1884、裕仁1901.4.29、秩父宮1902.6)
    またシナリオと演出は塚本誠憲兵中佐だとバーミガニの記述を紹介。
    「塚本は、1934年に陸軍大学における北進派即ち征露派の陰謀を暴露するのに、宮廷の密偵を助けたことで、天皇の注意を惹いた。彼はそれから1935年の間じゅう、大阪で皇叔東久邇宮の下で様々な秘密計画に携わった。その1つは(略)永田軍務局長の殺人であった。」
  6. 同じ塚本の名を「磯部浅一と2・26事件」(P24-25)でも見つけたので、彼の本で226関連の記述を探した。
    塚本はノモンハン事件・インパール作戦を指揮した辻政信とも同期。
    塚本は陸士36期(村中が37, 磯部が38)、野中四郎とは「幼少時代からの友達でこんなに縁の深い同期生はめずらしい」(P125)とあるほか、安藤輝三とも長い友人であり、赴任先の上海で昭和11年2月28日に同期の島村矩康と藤室良輔大佐(のちに2・26事件の軍法会議の判士長の一人となる)を前に、「このさい徹底的に禍根を正してください。しかし参加将校の中で野中と安藤は多分自決するでしょう」と語っている。(P177)怪しい!
    永田鉄山斬殺の日も、上海にいたのだが、永田が殺されたときいて、「相沢三郎が犯人でしょう」と上司に言ったと記述あり。
    塚本は当時、上海で憲兵をしていたが、昭和「11年11月に(大阪の留守宅で)三男が生まれた」とあるので、昭和11年2月ごろ日本にいたようである。(P242)
    おそらく上海をベースにしながら、偽クーデターが起きるように日本にちょくちょく帰って煽って歩いていたのではないか。
    上海は意外に近いし、彼は飛行機を使えたはず。記述のない前日まで日本で暗躍して、当日はアリバイ作りのために上海にいたのではないか。
  7. 「嶋野三郎 満鉄ソ連情報活動家の生涯」1984年原書房:明治26年石川県生、明治44年石川県第一回ロシア留学生試験合格入露。
    大正03年 ペトログラード留学中満鉄留学生となる。
    大正06年 ロシア革命により8月帰国。
    昭和05年 フランス・ドイツに留学。
    昭和09年 同社参事、北方調査室主査。
    2・26事件に連座、東条により、二ヵ年の国外追放をうけ、(北方調査室長)の職を離れ,欧州事務所(パリ)勤務。「同志として、思想家として北一輝に兄事した」
3 浜田政彦著「神々の軍隊」を読む:2・26事件の解釈としては突出している
  • 神風連事件、2・26事件、三島事件を神々の軍隊の系列に叙する。かりに2・26事件が、天皇と塚本による偽装クーデターであったとしても、青年将校たちが「神々の兵隊」として決起したことの意味は大きい。
    実際「神話化」したことは確か。
  • 大本教:もともとは神道の日本の神が出口ナオに降り、日本の神の道を説いた。
    それを王仁三郎がかき乱したと、浜田は否定的な書き方。大陸進出にも協力したと。
    総じて「皇道派」は皇道大本との関係が強かったからそう呼ばれたのではないか。北進派であり、幹部も戦線拡大を望んでいなかった。
    浜田は皇道派の幹部を一刀両断に拝金主義者と切り捨てているが、果たしてそうか。 一方で大本教第二次弾圧(昭和10年12月8日)と2・26事件が近いことの指摘は斬新。神々への弾圧であった。
    バーガミニも神々の視点や大本教弾圧は視野に入っていなかった。
  • 青年将校についてよく読んで調べている。立派な将校が非業の死を遂げるのは悲しい。
    相沢三郎:受気比証言はどこで、本物か。相沢はどこで誰に吹き込まれたのか。
    浜田は、永田鉄山斬殺を、神々の軍隊の前哨戦とみるが、東久邇宮や天皇が相沢を騙して永田を斬らせたのではないか。
    天皇が陸軍でフリーハンドをもつ上で邪魔だから。
    新庄健吉:アメリカで殺された?
    磯部浅一:長州の武学養成所(山口高校とともに長州閥が権力を握るための特権的な道具)から呉幼年学校へ。長州なのに皇道派? 純粋な性格。
  • 北一輝・西田税を低く見ている。西田は財界のスパイ。
    嶋野三郎には気づいていない?最高レベルのロシア情報源であった。
  • 天皇への疑問を呈しながらも、天皇や東久邇宮の挙動はノーマーク。塚本誠ノーマーク
    P39 三島が最も恐れていたことは、実は天皇自身が西欧的魂の持ち主で、自らを当然のごとく「人間」とみなしていたのではないかという疑念。
    それが真実であると2・26事件で見出す。 財界・政治家・官僚たちと「三位一体の背信を行なっていた」
    戦争遂行は新旧財閥にとっては巨万の富を与える商機とみる。おそらく天皇にとっても。天皇は長州閥であり、久原・鮎川も長州。
    バーガミニの描く戦争キチガイの天皇が仕組んだ壮大な陰謀という見方よりは財閥の戦争特需とみる。
    塚本を見てない。金と戦争キチガイと、どちらがより大きな要素だったか。
  • 料亭シーンなど生々しい。浜田に将校の霊が憑依した?一方で個々の史料名を明らかにしていない?
    どこまで記述を信じてよいのかが見えてこない、検証できないところは残念。
4 まとめ:2・26事件は本当のクーデターになりかけた陰謀だった!?
  1. 近現代史のむずかしさは、我々が客観的評価できないほど、社会化されているから。
    自分が何十年もつきあってきた「平和愛好家であるヒロヒト天皇」というイメージを破壊しないことには、辻褄の合う歴史解釈が得られない。 「神々の軍隊」史観を含めて浜田史観にも同意できる点多々あるものの、塚本と野中・安藤の挙動を結び付けて考えると、2・26は天皇側近が仕組んだ偽造クーデターであるとするバーガミニの歴史解釈が一番妥当ではないか。
    明治天皇すり替え事件にはじまって、昭和天皇が戦争キチガイで、民草を玩具にしたこと、広島と長崎に原爆投下を許したことは、悲しいことだが事実である。戦争に借り出された兵士達は皆天皇のせいで死ななくてよいのに死んでいった。
    歴史の真実を究明して、2・26事件の真実を明らかにすることは、青年将校たちの思いを晴らすためにも必要ではないか。
    2・26以後、天皇は軍隊を玩具のように動かすようになった。
    最大タブーの「大本営」が昭和12年から皇居に設置された。
    ・常にDNAを再生産し続けるが、何かちょっとでも間違いがあったときに、その間違いが大きくなるスピードも、どんどん速くなってしまうのではないか。
    ただむやみやたらに再生産を続けるだけでは、逆に早々に異常な方向に変化していくのを早めてしまうだけなのではないか。
  2. 私の2・26事件解釈は、以下の通り。
    a) 昭和天皇が自分の思い通りに陸軍を動かすために、邪魔になる幹部や皇道派将校を一掃するために何年もかけて塚本らと仕組んだのが2・26事件の真の姿。
    磯部や村中が陸軍を追われたのもクーデターに走らせるためだった。
    「朕の老臣」たちも天皇が邪魔に思ったから青年将校を使って消させたのでは。
    b) 青年将校の多くは、塚本と通じていた野中や安藤(決起に消極的であったのも陰謀だと知っていたから)に煽られて、自分たちが本当に何を狙っているのかもわからず決起したようだ。
    彼らの純粋さは評価されえる。
    栗原の父母への遺書「明治維新に比べれば、昭和の御維新はまだ捨石が少いのです。私は何もかも忘れて飛込みました。何卒私の決断を褒めてください。」
    この栗原の言葉は吉田松陰の「講孟剳記」離婁下23章の「過ぎて生きんよりは過ぎて死せんに如かず」を思い起こさせる。
    ここで松陰は、孟子の思想を否定して自ら独自の思想を展開した。
    すなわち、孟子は、死んでも死ななくてもよいときには死ぬなと教えたのであるが、松陰は、無理して生きるよりは、無理にも死んだほうがよいのだと断定したのである。
    栗原はこの言葉を信じて実践したのかもしれない。(青年将校たちの遺書には吉田松陰の名前が何度も出てくる。)
    この自らの死を恐れぬ青年たちの直情が、2・26事件をもみ消すことも否定することもできない不思議なオーラを与えている。
    青年将校たちが、一気に皇居になだれ込み、天皇にもっと早くから絶望していたら、日本の歴史は大きく変わっていたかもしれない。
    秩父宮で社会がよくなったかどうかは不明。
    c) 陰謀をある程度想定していたものの軍が動くことの意味と破壊力を知っていた北一輝と嶋野三郎は、それでもクーデターの成り行きに一縷の期待をかけて見守っていた。
    さすがに青年将校に兵の動かし方の指南はしてなかっただろうが。
    北は天皇を疑っていたから皇居突入を青年将校たちにそそのかさなかったのかもしれない。
  3. 神国日本というが日本の地理的・地質的構造自体が神国である。
    アメリカの占領政策にもかかわらず漢字が生き残り(韓国や北朝鮮では廃止されたのに)、武道・武芸も生き残っている。
    天皇や皇室・財閥の陰謀にも負けず、民草は淡々と太陽に向って生きてきた。そこに日本の救いがある。
    浜田政彦の本書もそのひとつの証である。