永田和宏(著) 「タンパク質の一生―生命活動の舞台裏」

鷹揚の会: 平成21年2月例会
レポーター: 得丸公明

1 なぜこの本を選んだか?
  1. 分子生物学:言語のデジタル起源についてアメリカの分子生物学者の論文に出会う。DNAもデジタルである。(デジタル通信とは、p49 図2-5 , p55 図2-6に示されているような有限個の離散符号が一次元配列の暗号として送受信される通信。回線両端における暗号解読システムも含めてデジタル通信を構成する) DNAからタンパク質が合成されるプロセスを学ぶことで何か見えてくるか。
  2. 現代日本でもっとも高名で影響力をもった歌人が書いた。詩心とDNAあるいは生命科学はどう結びつくだろうか。

2 DNAとタンパク質について理解したことを整理する。本書の内容だけではない。
  1. ヒト(動物)の身体の60~70%は水。20%がタンパク質。そのタンパク質は20種類のアミノ酸でできている。「生命はタンパク質の存在様式である」(エンゲルス)  20のうち9は自分では合成できない(アミノ酸を合成する酵素をもたない)ので食物として取り込む必要がある:必須アミノ酸。
  2. 細胞の構造。(p17 図1-4)ヒト60兆個の細胞それぞれの中に80億個のタンパク質がある。細胞の新陳代謝のために1秒間に数万のタンパク質がつくられている。タンパク質は細胞質ゾル(サイトゾル)に水溶していたり、図の中で登場する小器官(オルガネラ)を構成。骨も神経もすべて細胞。
  3. 基本的に植物と動物で細胞の仕組みは同じ。植物にはセルロースの壁と葉緑体がある。(図1-7の流れは、植物から動物に進化したとすべきでは?)
  4. ヒトの細胞の核の中には、46本の染色体の中に、DNAがクロマチンという糸巻きに巻かれてループ構造になって収容されている。 (p43 図2-4) 1個の細胞核の中のDNAをつなぎあわすと1.8mになる。その情報量は「30億文字」 (30億塩基対)。だがタンパク質を暗号化しているのは2%、残りはジャンク。
  5. 好気性の最近であるミトコンドリアは数億年前に細胞内に寄生した。「植物における葉緑体とおなじくエネルギーを産生するための『発電所』であり、細胞のエネルギー通貨とも言うべきATPを」、糖を分解して産生する。内膜上の十数種のタンパク質は自前で合成するが、残りは宿主にタンパク質を合成してもらう。ミトコンドリアDNA複製には誤り訂正機能がないので、突然変異の誤り数を数えて現生人類のルーツがいつであったかについてアラン・ウィルソンらが調べた。(以上、本書第一章)
  6. 1953年にフランシス・クリックとジェイムズ・ワトソンが、DNAの二重らせん構造をモデル化して発表した。これはメンデル以来の生物学における大きな発見。       DNAの仕事は、①遺伝子情報の保存、② 自己複製(二重螺旋が別れてそれぞれが相補的な塩基列を作りだす)、③ アミノ酸配列を指定した遺伝情報をmRNAに伝え、それをもとに核外でアミノ酸を組み合わせてタンパク質が合成される。mRNAはDNA情報の中から不要なジャンク(イントロン)を切り捨てて(スプライシング)、意味あるエキソンだけにまとめる。
  7. タンパク質合成のプロセスはp37, 図2-2 DNAからmRNAに 転写 → mRNAの情報をもとにリボゾームでポリペプチドを合成,  折り畳んでタンパク質に 翻訳    この流れは一方向的である(セントラルドグマ)とクリックは言った(が、誤りであることが証明されている。永田は言及していないが。クリックは神の存在を感じていた?)
  8. DNAの30億文字の情報を明らかにするヒトゲノム計画が実施されて、すべての情報は明らかになった。(後述)
  9. タンパク質は、4つの階層をもつ。(p61, 図3-1) 折り畳みを介助する酵素がいる。このシャペロンが著者の専門研究分野で、3章以降を書きたくて本書を書いたという。シャペロンは、ストレスがおきたときに発現するストレスタンパク質でもある。P85「ゆで卵が生卵に!」にあるように熱凝集したタンパク質を再生することもある。
  10. p98 「ストレス応答の仕組み」は、DNAのタンパク質合成暗号へのフィードバックのメカニズムを説明。ストレスタンパク質は、特定の転写活性化因子と対になって、サイトゾル中で非活性化して漂っている。ストレスタンパク質が出動すると、転写活性化因子と分離するので、転写活性化因子が核に移動して相棒のタンパク質合成を促進させる信号を送る。ストレスタンパク質の仕事が終わると、転写活性化因子と結合するので、もう核にいかなくなるので合成指示がとまる。(セントラルドグマの反証)
  11. p104 図4-1 細胞質ゾル中で形成されたタンパク質は、細胞内外の各所に配送される。
3 本書の限界
  1. 現代歌人は忙しい。自分が書きたかった第3章以降がむしろダレていて、たとえ話が増える。遺伝病の話や品質管理の話など、そのまま信じてよいのやらと思ってしまった。選歌やその他で忙しいから、研究にも著述にも時間を割けないのではないか。感動や情熱を感じ取れなかった。
  2. タンパク質の働きについてイラストはたくさんあるが、本当にそうなのだろうか。どうして写真はほとんどないのか。写真ないとしたら、科学者はどのようにしてイラストにあるような仕組みを解明できたのか。どこまでちゃんと確認したのか。
  3. 言葉による理解の罠にはまっているのではないか。読者を巻き添えにしようとしているのではないか。P73の最後の段落:人間が自分勝手に言葉を割り振って、自分の頭の中ですっきりしているだけのように見える。身近でわかりやすい比喩のオンパレード(電気餅つき機p79, もつれた毛糸玉p86, アブナイ不良仲間p88、暴走族のようにp89, 月光仮面やウルトラマンp92, サッカー選手p101など)だが、その喩えを本当にタンパク質にあてはめてよいのか、疑問に思った。
  4. 人間中心主義が色濃く匂う。P2「私たちヒトの筋肉にも、動物と同じようにアクチンはきわめて多量に含まれる」 しかし、本当にDNAの塩基配列、アミノ酸配列を目にすれば、ヒトも動物も同じ生命であるという事実に圧倒されるはず。それをあえて隠しているのではないだろうか。
  5. 血友病は遺伝病だろうが、糖尿病その他の病気は、遺伝病ではなく文明病では?なんでもかんでも遺伝子治療でなおるかのように装うのは、予算確保のため?あざとくないか。
4 人類の文明は戦争の文明だった
  1. 錬金術としてのヒトゲノム計画
    ゲノムプロジェクト:これは鳴り物入りであり、大変な予算をかけたが、結局「錬金術」であったのではないか。
    ワトソン「50年におよぶDNA革命のクライマックスは, 2000年6月26日月曜日に行なわれた。ビル・クリントン合衆国大統領によるヒトゲノム概要解読完了宣言だった。『今日、私たちは、神が生命を創造するときに用いた言葉を知ろうとしています。この大いなる新知識によって、人類は計り知れない癒しの力を得ようとしているのです』ヒトゲノム計画は分子生物学の成熟を意味していた。分子生物学は、動く金も大きければ成果も大きいという”ビッグ・サイエンス”に成長したのである。(略)DNAこそが、私たちを他の生物と区別し、私たちを創造的で意識をもち支配的で破壊的な生物にしているのである」The Secret of Life, 2003
    だが実際には、むしろヒトとサル、あるいはヒトとネズミの類似性が見えてきたのではないか。フランソワ・ジャコブ(パスツール研究所、「ヒト、マウス、ハエ」の著者)やハンス・ノルは誠実な科学者だが、脚光を浴びるのは錬金術師たちばかり。マスコミも、錬金術しか報道しない。
  2. 第二次世界大戦後の諸学問の興隆と沈静化現象について
    分子生物学が第二次世界大戦後に花開いたのは、おそらく戦争中の毒ガスや生物兵器の研究成果の賜物であろう。
    コンピュータ科学や情報理論も、戦争中の射撃管制や暗号解読に携わったノーバート・ウィーナー、アラン・チューリング、クロード・シャノン、フォン・ノイマンらによって戦後大きな発展をとげた。
    言語学、文化人類学、その他の戦後の学問は、戦争遂行の必要性で育てられた研究者や学者の受け皿だったのではないか。
    もしそうだとしたら、戦争が終わって、目的を失ったことが、言語学の不毛、文化人類学の影の薄さを説明するかもしれない。
    我々は戦争目的か、無目的かの、どちらかしか知らないのだ。錬金術など金銭や権力を求める運動に堕したのも、戦争目的を失ってしまい、身近な具体的目標に一部の科学者がひき付けられたということかもしれない。
  3. 戦争の文明、同胞愛の文明
    映画「2001年宇宙の旅」の冒頭で、サルが骨を空に投げ上げると、宇宙船になる場面があるが、あれはロバート・アードレイの「狩りをするサル」の影響であろう。アードレイはアメリカ人の劇作家だが、レイモンド・ダートの発見に魅されて、南アフリカに移住し南アで没した。
    今から200万年前に南アで生きていたアウストラロピテクス・アフリカヌスの前額には、骨格器で打たれたとおぼしき穴が開いていた。南アフリカの一帯は二度の隕石衝突によるマグマの湧出により、きわめて不毛な砂漠(カルー)になっている。ここで生き延びるために、原人たちは知恵を発達させ、オオカモシカの大腿骨で作った武器を使用するようになった。
    最古の現生人類遺跡である、南アフリカの南部インド洋沿いのクラシーズ河口洞窟付近で出土する最古の細石器文化Howieson’s Poortは、矢尻や槍の穂先などが中心。人類の文明とは、戦争、ヒトの自然に対する戦争(狩猟)、ヒトとヒトの戦争の歴史であった。
    今でも我々は、とくに集団で戦う勝負ごとになると燃え上がる傾向がある。おそらくこれが人類のDNAに流れているのだろう。Altruism(利他主義)で結ばれた集団の行動と戦いこそが人類共通、人類特有の精神ではないだろうか。
    その行き着く先が、地球環境危機であった。機械文明が高度に発達し、人類殺戮への反省が行なわれた20世紀に、自然破壊が急速化したのはもっともである。
    この流れに、詩人である著者がまったく無自覚であることには驚かない。現代歌壇をみても、それに気づいている歌人は多くない。
    DNAやタンパク質の「生命の巧妙な仕組みに触れることで」人間中心主義、人間の驕りから自由になることはできないだろうか。