三浦雄一郎(著) 「75歳のエベレスト」

鷹揚の会: 平成20年12月例会
開催日: 2008年12月26日
レポーター: 袖川裕美

1 経歴
2 雄一郎自身の言葉 / 雄一郎を評価する言葉
3 家族
4 その天才性(家族愛と身体力と気持ちのありよう)

1 経歴

2 雄一郎自身の言葉/雄一郎を評価する言葉
  • 限界突破の法則。世界の十指に入る(アマチュアスキー界から永久追放)が、トップではない→自作自演、独自の発想。
    時代背景は高度成長期、大航海時代と同じ。冒険家はメッセージ・エンタテイナー。
    人類は冒険をする存在。それによって生き延びてきた。元気高齢者。様々な”初”を達成。
    ヒラリー卿「人類というのは、つねにどの時代にも解決不可能だ、そんなことは出来るわけがないということを、これからの新しい時代のために乗り越えてきた」

    1. 富士山の直滑降。パラシュート試作
      不安やためらい、逃避心と戦う。誹謗中傷もつきまとうが、岡本太郎氏の言葉に励まされる。冒険にも自由な発想が必要。
      ―僕の冒険は人間がどれだけ強くなれるか、どれだけ自由になれるかの実験である。
      恐怖からの自由を得るために、僕は強くならねばいけない。これをスキーで表現する。
    2. エベレスト滑降 (The Man Who Skied Down Everest)
      無我の境地というほどかっこよくもない。ただ、「空っぽだった」というしかない。死の淵をのぞきこみながら最後まで生きる努力は捨てなかった。敬三氏は生還3分、死7分と見る。
    3. 南極での滑降
      人生は生きているだけでサビやすい。文明のサビと中年のサビを落とさなければなるまい。
    4. 53歳一区切りがついたと思い、60歳になるとメタボ(成人病患者)に。
      引退を考える。体力なし。トレーニングもせず宴会の日々。自動車事故。ゴルフ三昧。冒険はもうたくさん、体も心も響かなくなる。立派なデブに変身。
    5. 65歳からの挑戦
      人間は出来ない理由を一生懸命並べ立てるものだ。年だ、お金は、死んだらどうするー。
      交通事故で、死を意識し、自分の最後の最高の夢がエベレスト登頂だと気づく。
      しかし、531メートルの山さえ登れず、屈辱に暗澹たる思い。おもりをつけて歩く訓練開始。
    6. 70歳でエベレスト登頂
      2003年5月 7985メートル以上、神々の領域へ。死の領域でもある。
      死に対する恐怖心はないといったらウソになるが、エベレスト滑降で転んだときも、南極で雪崩に巻き込まれたときも、クレバスに落ちたときも、恐怖心はなく、不思議な異次元の世界にいるよう感じだった。
      人間があの世に行く瞬間に三途の川の向こうに平和で、きれいなお花畑を見るというが、私の場合は、激しい動作の中にすごく平和で、それこそ3000年か30000年か3億年後か、そのあと何になるのだろう、と感じることがあった。だから死ぬのではなく、別の世界に旅立つ感じに近い。
      人間は、誰もが死亡率100パーセントである。それがいつになるかというだけだ。
      8000メートルの景色は全然違う。日の出の時間に、峻険なヒマラヤの頂に光がさす荘厳な美しさに人生観も変わるほど。山頂は天国に近いのか、神々が住むところなのか・・・
    7. 75歳でエベレスト登頂
      魂だけで上っているという感覚。どうしても越えるんだという意志力。
      手を伸ばせば宇宙、天に触れる心地。再び高く遠い夢の頂上で神様の祝福を受けたようで僕は涙が出るほどうれしかった。
  • 「不死身のカミカゼ」、「登山の歴史の3ページ目を開いた男」と評される。身に余る光栄。ジミー・カーター元大統領もファン。
    フィンランドの登山家から、「おまえ、ここを滑ったのか。クレージー」。その後「おお、グレートマン」と言われる。
    平均斜度45度、「正気の人間では滑れない」と息子も言う。ヒマラヤでのノー天気な医師。
3 家族
  • 父・敬三の存在の大きさ(2006年101歳で死去)。
    男の仕事の粘り、底知れぬ根気と忍耐。何ものかへの無言の献身。
    自然への愛にも似た美の瞬間への熱い思いというものは、誰も見ていない雪と風と寒さの中で待つことなのだ、と何年も何年もかかって教えられた(P81)。
    父の後ろ姿を追った。父はどんどん上っていく。ついてくる僕を振り向こうともしない(P87)。
    やんちゃな子供時代(学校に行くと具合が悪くなる)、父にスキーに連れられる。直接教わることはなかった。
    一家で氷河(5600メートル)を滑降(1974年)。70歳の父、8歳の長男雄大、小学生の長女の恵美里、妻。
    それから7年後(敬三77歳喜寿)、親子3代6人でアフリカのキリマンジャロをスキー滑降。家族の絆深まる。
    父は白寿(2003年、99歳)の記念にモンブランの氷河を滑降するため、日々トレーニングに励む。
    息子の豪太はオリンピック選手。自分だけ肥満老人となり2人に嫉妬を感じた。
    モンブランのスキー踏破(2003年、99歳)後、2005年に転倒、第2頚椎の柱状突起が折れる。
    だが、あきらめずリハビリ。「歩くだけだとボケる」といって、一人暮らし。
    2008年 75歳2度目のエベレスト(8848メートル)登頂の際には、長男豪太がサポート。だが、きわめて危険な状態に。
    豪太の思い。父からの刺激。雄一郎氏自身も父の敬三氏や息子の豪太から刺激を受ける。
    父が息子のトレーニングの真似をする。
    「俺は雄一郎と違って、ただ年を取ってみんなから珍しがられているだけ」、「雄一郎とはスキーの技術からキャリアから次元が違うんだ」
  • 三浦家の女たち
    中学受験に失敗する雄一郎。おおらかな母の励まし。
    エベレスト滑降前は、妻も涙ぐむ。3人の子供たち。
    成功後ライブ番組で、娘「お父さんは聞かれたことと全然関係ないことをしゃべっていた」。
    2度目のエベレスト登頂前、妻が霊媒師の宣託を受けに行く。
4 その天才性(家族愛と身体力と気持ちのありよう)
  • 雄一郎の冒険の根幹には家族愛がある。屈折やよじれがないのは、深い愛情の中で生きたからであろう。
    父・敬三を深く愛し、尊敬している。子供たちも自分を深く愛し、尊敬している。また、親も子供の力を信じ、評価し、子供からも学ぼうとしている。
    こういう関係が、各世代間でできている稀有な一族。それを象徴するのが3世代間・4世代間のスキー滑降。
    母、妻、娘もきわめておおらかで、こういう男たちをしっかり見守り、温かい。
    妻が祈祷師にいくところなども涙ぐましい。後書きに書かれた妻への謝辞もテレがある。
    * 宗教性の薄い日本人にとって、かつては家族と世間様が価値観を決める重要な要素だったことを思い起こさせる。
    雄一郎氏自身は日本的枠組みを超えた世界的冒険家だが、私には、いい意味で、きわめて日本的な風土と文化の中から生まれた人物にも思われる。
    数世代間にわたる家族の強い絆や、自然を畏敬し愛する素朴な心性や、何かがあったら祈祷師のところに行くなどというアニミズム性など。
    * 教育論 徹底的にのびのびした育ち方、育て方。
    なんだか、書斎派はつまらなく、どこか”しまった”と思わせるような生命力がある。
  • 遺伝的には心臓不整脈というが、桁外れの身体力はいうまでもない。
  • 優れた人たちに固有の特性として、己を客観的に見る能力があると思うが、雄一郎氏もそれがきわめて高い。
    生死を賭けているからだが、親子3代そろいも揃って、「自分の体をなんと思っているのか」という態度。
    苦しくても、苦しくても、やろうとする気持ちの中に、自分の心身の苦しみを自分のものととらえていないかのような強さがある。
    自分の器をよく知っていて、何をしたいのかもよく分かっている。それが、正直さ・率直さとなり、文章の魅力にもなっている。加えて、”気の持ち様”がユニーク。
    “精神力”というストイックな語感は雄一郎氏には合わない。つねに、やんちゃで、楽観的で、無理な前向きさとも違うのびやかさがある。
    これも冒険の成功の大きな要素であろう。
    神の恵みのもと、天与の才と努力で、宇宙の真理を見ることができるらしいと感じさせてくれた書であり、久々にとてもうまい文章を読んだ気がした(ウソがなく、自慢気でなく、かといって謙遜しているわけでもない。ユーモアもある。変な深読みをさせない力)。